« | トップページ | »

インド・ネパール旅行記-2007-

prologue

それは家系の因縁だった。それ以外の何物でもない。ただ、私の番が来ただけ。だから私はデリーの空港で独り立ち尽くしていた。2007年、大学生最後の春休みだった。

昨年のヨーロッパ旅行は楽しかった。まるでバックパッカ−にでもなったように安宿を泊まり歩き、深夜発の国際列車で国境を越え、飲んで踊って恋をして、その日暮らしを満喫した。さて今年はどこへ行こうか。年が明けると真っ先に次の旅について妄想をめぐらし始める。卒論やら学会やら、めまぐるしい年のはじめに思い当たった答えの一つが、インドだった。

きっかけは、というか事の発端は、ひとつの喧嘩だったように思う。昔からずっと信頼してきた友人を、ちょっとした喧嘩がきっかけで信用できなくなった。中途半端に騙されたような形になって、どうにも気概がおさまらず謝罪を完全無視。相手に悪気があったわけではないことくらい、長い付き合い上十分承知しているのに、プライドが高く心の狭い私はどうしてもそれを許せなかったのだった。何かがうまくいっていないことは分かっていた。自分にも多少の落ち度があったことも分かっていた。それでも、私はその友人の携帯にメールを入れることすら出来ず、もやもやと何週間か過ごしていた。それで行きついたのがインドだった。

どうせ騙されるなら、思いっきり騙されたい。中途半端な裏切りなんて笑って流せちゃうくらいの悔しい思いを上書き保存すれば、必然的に友情が復活するに違いない。で、騙されるなら断然インドだ。この単細胞ならではの発想、正直インド人に申し訳ないものではあるが、しかしインド旅行で散々な目にあったという武勇伝は私の周りに腐るほどあったのも事実。もちろんたいした根拠があったわけではない。しかし、数週間ぐるぐる考えた挙句、私はインド行きの航空券の値段を調べるに至ったのだった。

しかし、インドだ。私はアジアの旅なんてしたことがないし、しかも私の中でインドは旅行難易度の高い地だと勝手に位置付けされていた。旅仲間たちがかの地でいかに悔しい思いをしたか、さんざん聞かされていたのが原因だろう。しかも今までの旅と違って、その地に恋焦がれて旅するわけじゃない。マチュピチュもオンチェシュティもアテネも、そこに行かなきゃこれから先、もう生きていけないんじゃないかと思うくらいの強い衝動に動かされて旅に出たのに、インドなんて正直これっぽっちも焦がれてなんかない。しかもインド行きなんて誰も便乗してくれるものでもないし、そもそも騙されに行くというスタンスが、人間として正しいものとは到底思えない。やっぱりやめよう、そう思ったときには時遅く、すでにデリー行きチケットが取れていた。

行くしかないじゃないか。行ってやる。もう自棄になってバックパックを詰めながら、思い当たったのだ。これは家系の因縁だと。うちの家系は女が強い。新潟の男は弱いといわれるが、その原因は雪国の女が強すぎるところにあるのだと思う。我が家系もそのご多分に漏れず、女が強い。そして、なぜか分からないのだが、わが家系の女は一定の年齢を越えると、インドに行く。従姉妹も行った。叔母も。そうだ、私の番が来たんだ。インドで修行をつんで、強い女になるために。多分、辛い事が待っているんだろう。今までの旅では出会ったことのないような災難に見舞われるのかも知れない。病気になるかもしれないし、売り飛ばされるかもしれない。生きて帰ってこられるかも定かじゃない。でも、行くんだ。私独りで。

それは家系の因縁だった。2007年3月3日、私は喧騒の街に降り立った。

<<  contents  >>

Town13   HOME

当サイトに掲載されている文章、写真等の無断転載・転用を禁止します。
Copyright (C) 2009-2011 Étranger, Memory All Rights Reserved.


« | トップページ | »