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中欧・東欧旅行記-2006-

天動説が残る街

列車はプラハのホレショヴィツェ駅に30分遅れで到着。両替と次の鉄道の予約を取ったら、3泊4日のプラハ滞在だ。今回の旅の目的はルーマニアでもう果たしたから、ここから先はおまけのようなもの。軽い気持ちで旅をしようと思う。トラム14で道に迷いつつ、どうにか街中の安宿に荷を下ろした。市内交通の3日券を買ってはみたが、どうやらこの街は見所がうまくまとまっているようで、徒歩でも十分やっていけそうだ。とりあえず、広場まで散歩に出ることにした。

プラハの街は活気がある。街を行く人々は景気のよさそうな顔付きの観光客が大半で、久しぶりに日本人の顔も見かける。店に入れば日本語で接待されてしまうし、どうやらここはギリシャ並みの観光国のようだ。

広場には人だかりができていた。もうすぐ有名な仕掛け時計が動き出すらしい。毎正午に動く十二使徒のからくり自体は別にたいしたことはない可愛らしいものなのだが、実はこの時計、外観そのものにすごいからくりが組み込まれている。15世紀に造られたというこの巨大な天文時計は、その当時の一般的な宇宙観である天動説を模した天体の動きを見事に再現するプラネタリウムとなっているのだ。したがって時間を示す時計としての役割だけでなく、年月日までもがここから読み取る事ができる。こんなもの一流の天文屋さんじゃなければつくれまい。

プラネタリウム部の下に位置する大きな円はカレンダリウムと呼ばれ、この部分も暦となっているらしい。黄道12宮とその時期に合わせた農家の仕事が描かれている。農民たちにとっては必須の暦だったのだろう。今はおとめ座。暦は畑を耕す農夫たちの姿を指していた。

カレンダリウムの両隣には大きな人形が左右対で計4対飾られている。左にいるのは歴史記録者と天使、右にいるのは天文学者と哲学者だ。ここにどんな意味があるのかは分からないが、この時計を製作した人たちを表しているんじゃないかと思う。実際の説はいくつかあるらしいが、なにぶん500年も前の話である。今となっては分からない。

  

しかし最も興味深いのは500年間、この時計だけは天動説を信じて時を刻みつづけてきたということ。15世紀といえば、アラビア語から再翻訳されたプトレマイオスの「アルマゲスト」がヨーロッパ各地で繰り返し増刷されていた時代。まさに天動説が一大パラダイムを築き上げていた頃だ。コペルニクスが地動説を唱え、「天球の回転について」という難解極まりない著書を発表するまでは、まだ一世紀ほどの時間が必要であったし、それすら当初は天動説の緻密な補正の前にほとんど太刀打ちできなかった。人々がこの多少己勝手な理論に見切りをつけるためには、ティコ・ブラーエのあまりにも精密な観測とそれに基づいたケプラーの第三法則とを待たなければならない。

と、御託を並べながら待つこと5分、時計が刻を知らせる鐘を鳴らす。500年の歴史を経て、今なお天動説で時を計る大時計を目に焼き付けた。プラハまで足を伸ばしたことに、今かなり満足している自分がいる。

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