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ペルー旅行記-2005-

クスコ遺跡散策

LANPERU72便のクスコ着は予定より30分ほど遅れた。熱帯雨林とは違い、空気が冷たく緊張してるのが分かった。気圧の変化を肌で感じる。クスコは観光の街だけあって空港も賑やかだった。ここは街そのものが世界遺産。観光客も客引きの数も桁違いだ。

私の計画ではこの街の滞在は所詮マチュピチュへの足がかりにすぎない。高山病対策というか、いきなりメインのマチュピチュへ登っても息切れしてしまうんじゃないかと思ったのだ。クスコで半日ゆっくり休んで、翌日マチュピチュへアタックするつもり・・・、だったのだが、空港の賑やかな様子に触発されて、結局街歩きに出てしまった。

まず向かったのは、コリカンチャ。太陽の神殿と言う名の遺跡。今はサントドミンゴ教会としてたくさんの観光客を集めている場所。スペイン人がインカを征服した時に、莫大な黄金の眩しさに驚愕したといわれているが、この遺跡ももとは金の装飾で煌びやかに飾られていた場所らしい。その全てはスペインが略奪してしまったため、今は金の欠片も残ってはいないんだけど、それでも訪れる人は後を絶たない。

以前、ペルーで大きな地震が起こった際、教会部分はとんでもない被害を被ったらしいが、その下のインカ時代の石組みは無傷だったというのは有名な話。カミソリの刃一枚通さないというインカの石造りは、近代のの建設技術を凌駕する精密さだったのか。それともこの地方の風土(環太平洋造山帯ゆえ地震が多い!)を知り尽くした故での功績か。

次に向かうはケンコー遺跡。ケンコーとはケチャ語で「ジグザグ」の意味。確かにこの遺跡、そこらじゅうがカクカクしている。ここはインカ時代の祭礼場跡。ミイラを作ったり生贄をささげたり、けっこうどぎつい事をしていた現場だったようだ。インカ時代は人の生贄は行われていなかったが、それより以前、プレインカの時代にはまだ、人を生贄として神にささげる儀式が行なわれていた。カクカクした石組みの間を真っ赤な血が流れ落ちて行く様が頭に浮かんで、鳥肌が立った。

あまりに寒くなってきたので次へ移動。想像力のせいだけでなく、本当にここは気温が低い。次はプカプカラの遺跡へ。Pukaはケチャ語で「赤い」という意味。よってここは別名「赤の要塞」。ここは見張りのための建物だったらしい。インカ道は当時すばらしく整備された一級道路だったんだが、だからこそ、他所から攻め入られる危険も大きかったはずである。こんな感じの要塞が要所要所にいくつもあったんだろうと思う。

ついで出かけたのはタンボマチャイ。ここは聖なる泉の遺跡。今でも湧き水が流れてきているけど、実はこの泉、出所が分かっていないらしい。現代の調査でも突き止められていないって言うんだから、当時の用水技術に感服だ。実はインカの街全体には謎の地下水路があるらしいと言う噂がある。これは伝説にもなってるみたいだが、いつかその全貌が明らかにされたりしないのかと思う。謎の地下通路、実はインカは地下帝国だった!とか。おもしろい。

サクサイワマン遺跡にも足を伸ばしてみた。ここはインカ帝国の最後の砦として、スペイン人との攻防の拠点となったところ。しかしもともと農耕民族だったインカの人たちは生きるため戦争より農業を選んだ。よって種まきや収穫の季節になると、兵力半減以下。みんなそろって実家へ帰ってしまったらしい。そりゃあ負けるわ。この遺跡はけっこう広大で、端から端まで歩くのはちょっと大変そうだった。でも、当時これだけの敷地で国を一つ守ってたんだから、それはそれですごいことだ。

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