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ペルー旅行記-2005-

アンデスの山を行く

プーノ行きの大型バスがクスコの街を出発したのは7時40分。バスは大型で座り心地も二重丸。女性には嬉しいトイ付き。途中要所要所の観光地に立ち寄るためのイケメンガイド付き。

8時半、アンダワイリーヤスという小さな村の教会で35分の休憩。バスを降りるといい天気だった。ここは標高3122m。クスコが約3360mだから、多少下がってきた事になる。頭痛吐き気等、高山病的な症状は未だ無し。このまま乗り切れるような気がする。

この教会は、17世紀にスペイン人の修道士によって建てられた。クスコから離れた山村に有るにもかかわらず、内装外装ともにたいへん豪華。黄金の祭壇や色鮮やかな壁画が目を引く。天国の門と地獄の門の壁画は有名だと相棒が教えてくれた。彼女はキリスト系の学校に通っていた事があるので、私より宗教的な話は詳しい。

ここではインカ文明の宗教とキリスト教というスペイン征服後の宗教の融合の様子が見て取れるという。ガイドが指差した先には、ポンチョを着たキリストの姿があった。そういえば、クスコにある教会では最後の晩餐の絵にクイの丸焼きが描かれていた。人の宗教観をがらっとかえるというのは難しい事だが、当時のカトリック教会は、こんな小さな戦略をもってキリスト教をこの地に浸透させることに成功した。黄金の祭壇の上には大きな太陽の飾りが光っていた。インカの太陽神とキリスト教の見事な融合、それによってペルーの人々の機嫌を損ねることなくカトリック教会はその勢力を広げていった様子がうかがえる。なるほど、この教会はおもしろい。

そうえいば、インカ帝国がこんなに巨大な帝国になった所以として、その土地、その土地の宗教をうまく丸め込んだ経歴があった。インカに支配される前は、大地の女神パチャママを信仰するものが多かった。または、地下に蛇、地上にピューマ、天上にコンドルといった具合に世界を3つに分けて、それぞれの神獣を祭ったものもあった。そういったものを全否定するのではなく、それらの神の頂点にあるものとして太陽神ビラコチャを説いたのだという。そうやって広がったインカの宗教も、全く同じ方法でキリスト教に取って代わられてしまったわけだから皮肉といえなくもない。宗教と支配の切っても切れない関係。

10時半、ラクチ遺跡に到着した。標高は3450m、かなり高くなってきた。バスから出ると日差しが痛い。空気が薄い分そう感じるのか、ただの気のせいなのか。空を見上げると真っ青。こんなに空って青かったのか。

ラクチ遺跡はここはビラコチャ信仰の遺跡で、インカにしては珍しく、泥とレンガからできている。全体的に赤茶けて見えるということは、酸化鉄の成分が多いんだろう。クスコのプカプカラも酸化鉄が多い感じの色合いだった。でも、あっちはちゃんとした石組みの要塞だったが。これが中央集権制度の落とし穴って奴なのかもしれない。クスコには卓越した建設技術を誇る技術者が集まったけど、田舎町にはその技術が届いてこなかったんだ、きっと。

昼食を終え、バスに乗る前にふと青空を見上げると、頭上にはコンドルが舞っていた。こんなところで逢えるとはラッキーだ。本当に今回の旅はツイている。コンドルを見に行く現地発着ツアーに参加するまでもなくアンデスの野生のコンドルに逢ってしまった!

午後、バスはさらにアンデスを登って行った。8000m級の山々が青をバックに荒々しく映る。ついにアンデス山脈の真っ只中に足を踏み入れたという感じ。13時15分、道の真ん中でバスが止まった。ついにこの度一番の高地ララヤ峠にさしかかった。標高4335m、多分いま自分の人生で一番高い場所にいる。そう思うと心躍った。

14時50分、プカラの小さな博物館でインカ以前の文明をダイジェストで学んだあと、バスは一路プーノの街へ。プーノの標高は3830m。ララヤよりは低いが、クスコなんかより断然高い。山を登って登って、登りきったところで、やっとその茶色の町はその姿をあらわした。町の向こうにはでかい湖が見える。チチカカ湖だ。今日はプーノの町のお祭りらしく、大通りはたくさんの人で賑わっていた。17時15分、プーノのターミナルに無事到着。所要時間約10時間、アップダウンは1000m以上の旅だった。

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