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ギリシャ旅行記-2003-

ヤマトナデシコへの道

アクロポリスの丘旅も6日目。今日は朝からいい天気で、今までにないくらいの青空。 颯爽とホテルを飛び出して今日もとりあえずアクロポリスへ。風はさほど強くなく暖かい春の陽気。神殿の前に腰掛けて、パルテノントークに花が咲く。大昔の神殿はどんな色で飾られていたんだろうかとか、どうやってこんな大きな神殿を組み立てたんだろうかとかそんな話を小一時間。よく考えてみるとギリシャ人がこの美しい神殿を築いていた大昔、日本人はまだ米作りもままならないような状況。最先端だったんだなぁギリシャ。

続いてアレスの丘へ。丘に登って古代アゴラを見下ろす。アゴラはその昔、アテネの市場があった場所だ。パルテノン神殿が再建されている当時は、ソクラテスがこの広場で若者を捕まえては難しい問いを投げかけていた。よい哲学者の伴侶は根性が悪いという話を連れが教えてくれた。ソクラテスの妻はとんでもない悪妻だったという噂があるとか。ソクラテスが捕らえられていたといわれる牢獄でも、実際のところどうなんだろう。民主主義発祥の地と言われるギリシャでも当時、女性の地位はかなり低かったようだ。アリストテレスはアレキサンダー大王の教育係だったほどの優秀な人間だったが、そんな彼でさえ、「女性は劣った男性である」と信じて疑わなかったと言われている。おいおいそりゃないよ。ソクラテスの妻が本当にひどい人だったかについては、当時の女性の意見も聞いてみなければね。仕事もせずに街で問答ばっかりして帰ってきて、挙句の果てに毒人参飲まされて死んじゃうような旦那を持ってしまったんだから、そりゃあ小言の一つも言いたくなるってもんだ。

3人でそんな話をしていると、白髪の老人に声をかけられた。
「Hi!ヤマトナデシコ!ビンボウガクセイッ!」
一瞬からまれてるのかと思ったがそういう雰囲気でもない。日本語が上手な地元のおじいさんってところだろうか。話を聞いてみると地元でアゴラの歴史を教えてくれている人らしい。
「ソクラテス、プラトン、シッテマス??」
どうやら地元でも有名なアマチュア観光ガイドさんのようで、昔は日本人相手に仕事をしていたという。有名なお土産屋さんスポットをいくつかを教えてくれた。後はただただ「ヤマトナデシコ!ビンボウガクセイッ!」と連発して、彼は去っていった。

ゼウス神殿清く正しく美しい日本人女性、大和撫子。そんなものは大昔に絶滅してしまった生き物だ。でも、昔日本人相手に仕事をしていたというヤマトナデシコ爺さんの中には、おそらく未だに生き続けているヤマトナデシコ像があるんだろう。素敵なことだと思う。私たちもせめて海外に出たときくらいはヤマトナデシコであるべきなんじゃないだろうか。清く正しく美しく、気高く可憐で優しさあふれる、そんなJapanese girlでありたいと願う。お土産を値切りすぎるのは気高くないし、うまいうまいと異国の食材を食べつくす姿は美しくない!

そのままテオリア通りを下って、ヤマトナデシコ爺さんに教えてもらったお土産屋さんを探す。そのままぶらぶらと買い物を楽しみつつ、キダシネオン通りへ。今日は青金石の地球儀を購入。定価の2/3で交渉成立。アクロポリスとリカベトス相変わらず買い物がうまいと自負する。ああでも、ヤマトナデシコへの道は遠い。タベルナのテラスでお昼ご飯。ムサカとスブラキ、海老のグリルをオーダー。3月はギリシャのシーフードが一番おいしい時期。ここぞとばかりに大食い。そしてやっぱりヤマトナデシコへの道は遠い。

夕方からはリカベトスの丘へ。ケーブルカーで頂上まですぐ、のはずなのだが・・・、そのケーブルカーが全然見つからない。ぐるぐる歩き回ったけどやっぱり見つからない。地元の人に聞いてみると、「あぁ、ここから登れるよ」
って、歩けってか!!!

頂上に建つ真っ白な教会こうなりゃヤマトナデシコ根性!と腕まくりしたのはいいのだが、なんといってもアテネ一高い丘、アクロポリスやフィロパポスの丘とは比べものにならない。登っても登ってもひたすら続く階段道。坂の中盤でもう足がパンパンになった。ヤマトナデシコへの道は厳しい。それでも下りてくる人たちに元気付けられて、やっと登頂。
丘の上で待っていたのはアテネの絶景だった。真っ青な空と教会の白、遠くに光るはエーゲ海。来てよかったねー!と大感動。アテネの夕暮れを眺めながら、「目指せヤマトナデシコ」を誓う3人娘であった。

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